昭和48年09月16日 朝の御理解



 御理解 第4節
 「この方金光大神あって天地金乃神のおかげを受けられるようになった、この方金光大神あって神は世に出たのである、神からも氏子からも両方からの恩人は此の方金光大神である、金光大神の言う事に背かぬよう、よく守って信心せよまさかの折りには、天地金乃と言うに及ばぬ、金光大神助けてくれと言えばおかげを授けてやる。」

 金光様助けて下さいと言う、まさかの時だけで良い様な、信心をさせて頂いたら、素晴らしいですね、金光様御願いします、助けて下さいと言う事をね、と言う事は、まさかの時だけで良い、ならば普通はどう言う事に、ならせて頂ければ良いかと、普通は金光大神の言う事に、そむかぬ様にやってさえ行きゃ良い、それはもう、絶対のおかげだろうと思うですね。
 私共があんまり唯助けて下さい助けて下さい、おかげ下さいおかげ下さいの方が、多いのではないでしょうか。どうぞおかげ下さい、おかげ下さいと言うのが、多くてもうまさかの時には本当なものが出らないのではないだろうか。そうではなくて今日は私、そう言う風に今日は四節を頂きました、助けて下さい言うならば信心が本当に出来ておれば、助けて下さいと言わんでも、神様は助けて下さるんだと言う事が勿論根本にあるんです。ですからと言うて私共は願わんで良いかと言う、願う事が一杯ありますね。
 おかげを受けなければならん事が、一杯ありますけれども、言うならば助けて下さいと言う事よりもね、言うならば、信心を本気でさして貰う言うなら、金光大神の言われる事に、背かぬ様にと言う所を、一生懸命になると、言う実はだけで良いのだと、そして愈々ギリギリの時に、金光様助けて下さいと、言った様うな生き方になりゃ、惟は絶対なおかげが頂かれますですね。昨日夕食をさして貰っておりましら、愛子がお給仕してくれながら丁度私がお食事をする時に相撲があっとります。
 それを愛子が言っておりましたが、昨日でしたでしょうか一昨日のことでしたか、解説がいろんな話しをしておられるなかで、相撲が好きな相撲では駄目だと、好きなあの人はなかなか相撲が好きなと、相撲取りは本当に大成しない、矢張りそれを聞かせて頂きながらですね、なるほどだと思いました。ならどうでなからにゃならんかと言うとね、いわゆる稽古が好き修行が好きと言う相撲でないとたいせいしない、私は今日の御理解にぴったりだと思うんです。
 信心もそうです信心が好きだ言うのがあります、けれども成程俗に申します下手の横好き等と言いますからね、そりゃあもうそうな拝みなさる、そうな参る事では参りなさる、結局参る事やら拝む事が好きなのです、そして修行の方は余り好かん、教えに取り組む事はようせん、何十年手を合わしとるけど、なら教え一つでも本当に自分の物にした、血や肉にしたというのは無い、ただ拝むだけ参るだけとこう言うのが、信心が好きと言うのではないでしょうか。
 信心か好きと言えばもちろんおかげおかげで参って来ると言う、信心が好きと言うのはまだ私は愛嬌があると思いますね、信心が好きだと言うのはけれども、ただおかげ頂かんならんから日参り夜参りしとると言うのもあります、惟はまあ言うならばまあ詰らんのじゃないかとこう思います、信心が好きだけでは出来ません、修行が好きにならなければいけないと言うのです。
 そうすと此れはどう言う事になりますでしょうか、金光大神助けてくれと言えば、けてやる、但しそれはまさかの時である。まさかの時に金光様助けて下さい、とまあ言える様な、おのずと出て来る様な、日頃の信心をです金光大神の言う事に背かぬ様にと言う所に一生懸命信心の焦点をおいて、おかげを下さいと言う時には真逆の時だけしか言わんで済むような、信心をさせて頂いたら惟はもう絶対、間違いも無く信心は上達するでしょうしお徳は受けるでしょうし。
 成程頼まんでも願わんでも、おかげは受けるでしょうし、それでも、まだ尚且つ願わにゃならん時、所謂まさかの時でも、そう言う信心をしとるものが、金光様お助け下さいと言えば、私は絶対の助かりがあると思うです。所がそれは余りにも、何時もかつにも、金光様助けて下さいが多いのではないだろうか、それはそれでも良いのですけれども、金光大神の言う事に、背かぬ様にと言う事が。
 疎かになっておるのじゃないだろうか、とこう思います。相撲が好きなと言う相撲取りは大成しない、修行が好きなと言う稽古が好きだと言う相撲なら大成する、成程うがった言葉だとこう思います、教祖様の教えて下さる事を本気で守らせて頂く、行じさせて頂くと言う事が好きだと言う信心なら、絶対の言わば大成を見る事が出来ると私は思うのです。所がおかげの方が好きだと。
 ただ参る事が拝む事が好きだと言うのではです。大成しない本当の徳に力にならない、所謂金光大神助けて下さいがばかりが、何時も言うなら空念仏的なものになって来る様な気が致します。どうぞ信心が好きと言う事は有難い、だがその内容が拝む事参る事じゃなくて、所謂信心の内容である所の修行がです、修行が好きであると言う信心を愈々進めて行きたいと思うですね。
   どうぞ。